2 「人間の存在」の事実


 さて、前節でみたように確かにいらっしゃる神は、全知、全能の方です。そして、天も地も造った方、草や樹、動物や、更には私たち人間を造った方です。
 例えば、無人化工場をみてみますと、これを設計する人がいて、その設計に従い、敷地を確保し、建屋を建て、機械を据え、動力を取り入れ、原料を用意します。また、作業を指示するコンピューターとプログラムを造り上げます。その後、始業時に作業員がスイッチを入れると、動力がはいり、機械が回って、原料を加工して製品を造りだすのです。この場合、製品を造りだしているのはスイッチを入れる作業員ではなく、無人化工場全体のシステムであり、究極的にはそのシステムを設計した人々だといえます。
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 人間についても同様です。人間は父母の行為によって造られるように思われますが、先程の作業員と同じで、実は、それはきっかけにすぎません。そのきっかけを通して、遺伝子を形成するDNA(デオキシリボ核酸)情報の指示に従い、細胞分裂がはじまり、外界の物質が取り入れられ、組み立てられて、体が造られるのです。そして、ある時点で精神が宿るのです。この場合ポイントとなる遺伝子とその情報は代々の先祖から受け継がれたものですが、その始めは神様が造ったのです。
 もう少し説明しますと、無人化工場を動かすコンピュータープログラムは、誰かが造ったのであって、ひとりでに(偶然に)でき上がるはずがありませんが、それと同様、いやそれ以上に、人間を作り出すDNA情報がひとりでに(偶然に)でき上がるとは考えられません。人間以上の知力、能力をもった存在(それは神様しかいない)が造ったのです。つまり、人間は根源的には神様によって造られたというほかありません。
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 次に、人間は、つくられた数々の物、天地万物の中でも、最高の作品です。その構造は、肉体、精神(魂)、霊の3つの部分からなっています。
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 次に造った者と造られた存在との間にはいつも或る関係があります。それは、造る者は、その意に沿うように、役に立つように、モノを造るということです。言い換えれば、造られたモノは造り主の意に従い、役に立たなければらないのです。もし役に立たなくなれば、例えば、蛍光灯が光らなくなれば、シャープペンシルの芯が出なくなれば、靴の底に穴が開けば、これらは、みな、捨てられたり、焼かれたりするでしょう。それと同様に、神様によって造られた人間は、神様の意に沿うように、神様が喜ばれるよう生きなければなりません。
 神様の喜ぶような生き方とは、造り主である神様の聖い性質にふさわしく生きること、神様の方向に向いて生きることです。逆に、造り主である神様を無視して、神様の命令に背いて、神様から離れ、遠ざかって生きるなら、汚れて自分勝手に生きるなら、神様が怒るのも当然ではありませんか。そして、神様が怒れば、捨てたり、焼いたり(すなわち、地獄へ投げ込んだり)するのは当然ありうることですね。
 以上のような、神様の怒りを招く状態を「罪」と言います。
 罪をもう一度整理してみましょう。
@ 犯罪、罪の行い・・・・・・盗み、人殺し、不倫、裏切り、詐欺、汚職、中傷、悪口など。
普通、人々が罪というとき、これらのことを指します。しかし、これらは罪の結果であり、表面的なあらわれであり、一部でしかありません。
A 内心の罪・・・・・・怒り、憎しみ、悪意、敵意、妬み、不義、憤り、偽り、貪欲、邪悪、たかぶり、高慢、不遜、情欲、好色、怠け、不平、不親切、冷淡、冷酷、無情、親不孝など
 おのおの自分の心の中を振り返ってみて、これらが一つもないという人はいますか。誰もいません。これらが心の中にあって人を動かそうとするのです。うまく表に出さずにしまっておいたり、適当にコントロールできる人が大部分ですが、中には、上の@のような罪の行為に及ぶ人もいます。押さえているからといって罪がないのではなく、心の中にしっかりと巣くっていますから、何かの危機的状況のときに表面に出てきます。
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B エゴイズム、利己主義・・・自分の利益を優先し、自分の都合を優先し、自分の感情や快感を優先し、自分の心の基準で対処してゆく心。他人は後回しで、ゆとりのあるときにしか顧みることができない心。
これが罪の本体をなしています。このような心の状態から上の内心の罪が生まれます。人は誰も生まれつきこのような心を持っています。
C 神様無視・・・・・・神様から離れて生きる、遠ざかって生きる、無関係に生きる、背いて生きる。
 これは、人間の生き方として方向違いであり、的外れです。これが罪の根源であり、ここから様々な罪が発生します。即ち、C神様を無視し、神様から離れて生きると、その人の心の中心には客観的な基準がないから、自分が中心となるほかなく、B利己的となって、自分の利得、都合、快感などを先ず第一にするようになります。そうなると、心の中に様々なA内心の罪が生じ、それが押さえ切れないとき@具体的な罪の行為となって噴出するのです。因果関係はC→B→A→@です。問題の根源はC神様を無視しているところにあるのです。
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 人は、代々、罪の体質を遺伝によって受け継いでいますから、生まれたままの人は、神様を知らず、従って、神様から離れて生きるので、神様の怒りを受けるべき存在なのです。いくら罪の行為に及ばなくても、内心の罪が少なくても、そのことに変わりがありません。私たちは程度の差が会っても、神様の前ではすべて罪人です。そして、罪は神様のきよいご性質と相いれません。罪のままでは滅ぼされるほかありません。従って、生まれながらの人間は、神様に受け入れられない、滅ぼされるべき存在なのです。

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