1 「神の存在」の事実


 なんと、驚くべきことでしょう、神は、現実におられます。それは人間が考え出したものではなく、自然の一部でもなく、また、人間が心の中でただ思い込んでいるだけのものでもないのです。神は生きておられるお方です。そればかりでなく、神はすべてを造られた方、つまり宇宙を造り、その中のすべてのものを造り、なんと、人間をも造られたお方です。そして、今も、宇宙万物を支配し、維持しておられます。
 しかし、神は霊として存在しておられますから、人間の目には見えません。
 では、神のおられることはどうすればわかるでしょうか。
  1.  まず、被造物(造られたもの)によってわかります。
     即ち、被造物の存在、在り方を通してその造り主を推測することができます。たとえば、身の回りの服や靴、机や蛍光灯、シャープペンシルや本、どれを取っても、どんな小さな簡単なモノでも、造った人がいるのです。造った人がいないのにひとりでに出来上がったものはありません。
     いま、一つの時計を目の前にするとき、その時計が実にうまく精巧に組み立てられていることがわかります。だから誰も、それがひとりでにできたとか、猿が造ったのだとは考えません。高度に発達した文明を背景として利口な人たちが造ったのだと考えるでしょう。同じように、一本の花、一羽の鳥そして一人の人間を見るとき、時計よりもはるかに精巧なそれらが、ひとりでに出来上がったとは到底考えられません。それらを造った方、創造者なる神がいることを認めざるをえないのです。
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  2.  次に、宇宙が秩序正しく動いていることを見れば、神の存在を推測することができます。    意志の主体(精神)がいない所には秩序はなく、統一がありません。人のいない家はしばらくするとクモの巣が張り、ガタがきて、朽ち始め、やがて屋根が落ち、廃屋となります。犬小屋でも犬だけでは、散らかすだけで、統一がなく、修繕もできません。
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     すべて物質から成るモノには、誰かが維持しないかぎり崩壊(混乱)へ向かう法則があります。(これをエントロピー増大の法則といい、れっきとした科学の法則です。)この法則を裏返せば、崩壊せず、混乱しないものがあれば、それは誰かが維持しているということになります。  いま、夜空に目をやり、月や星を見るとき、それらが何千年も混乱もせずに、実に整然と動いているのがわかります。それぞれのコースは決して単純でなく、入り組みがあるのに、互いにひっかかり合うこともありません。  この地球を見ても、一年(365.2422日)という正確な周期で太陽の周囲を回っています。自転車は人がこぐから車輪が回るのであって、こがないといずれ止まります。電気を切れば機械は止まります。惑星はあんなに大きいのに、何千年もの間正確に回転するのはなぜでしょう。これは、誰か偉大な意志の主体(神様)が維持し、回しておられると考えるほかありません。
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  3.  更に、人間に良心が与えられていることからもわかります。   良心は絶対的な道徳律があることを知っています。人がこの道徳律を犯すとき、必ず罪悪感とか裁きへの恐れが伴います。この道徳律は、人の性向とか欲求に反するものですから、人が自分で自分に課しているものではありません。つまり、それを与えた方がいることを示しています。また、裁きへの恐れは、他の者によってさばかれる恐れですから、他の者(さばく方)がいることを指し示しています。
     また、人間には永遠に生きたいとか永遠にこうあって欲しいという思いが与えられていますが、これは人間にだけ与えられ、また、人間ならすべての人、すべての民族に与えられているものです。こうしたことは永遠なる方(神)が人を造ったのでなければ考えられないことです。
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     一方、「神」は、人がこれを見ることも聴くこともできないからいないという人がいます。しかし、電波や引力、磁力など、見えない、聴けないけどれども確かに存在するものがあります。それらは、力をもち、人に恩恵を与え、人を支配しています。同じように、見えない、聴けないけれども、力をもち人に恩恵を与える方「神」がいて不思議はありません。
     ある人は、「理詰めで考えると神が存在するらしいことはわかるが、普段はそれを感じることができない」といいます。しかし、感じられなくても、確かな事実は多くあります。例えば、地球の真ん中がドロドロの溶岩だということや、地球が毎秒30kmで動いているということは普通は感じません。しかし、科学的に突き詰めるとそうなるのです。ですから、感じられなくても、理性にかなうことは認めなければならないのです。
     「神はいない」ということは立証できません。「神はいない」と言っている人は、何となく「いるとは感じられない」というにすぎないか、あるいは、「神はいてもいなくても関係ないから認めたくない」というにすぎないのです。

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